思った以上に私に入れ込んでいるこの男を、どのようにして扱うのか迷っている。いい年をして、若い女の体が欲しい中年という感じでもない。不思議と自然に私を気遣い、私を求めるこの奇妙な厚意に、何も目的が透けて見えないのがいやに異常だ。高貴な王、風雅な軍師、綺麗なことしか知らないくせに、その手を振りかざすだけで数百人、数千人が死ぬ。責任ある立場の無責任な横暴によって、幾人が無駄に死んだのだろう。私はその幾人の死を思いながら、今日も巨人を殺しに向かうのだった。
「兵長にはリヴァイをつけようと思うんだが、どう思う?」
私のベッドに腰掛ける男は、そう言って相談まがいの質問をぶつけてくるものの、その質問は、別に私の回答を得てどうこうしようというものではないのだ。同意しようしまいと、この男の中ではこの答えは動かない。
「いいんじゃないかな。あの子はこの先もいい活躍をすると思うよ。」
リヴァイは私の後輩にあたる人物で、目覚しい活躍を見せている。小柄ながら機敏な動きとどこに隠しているのかその強大なパワーで確実に巨人を仕留める。何より度胸がすわっている。よく鍛えたいい筋肉をしているとも思うし、この先が楽しみな子だ。兵長に据えるのは少し時期尚早かもしれないが、逆に周囲を焚きつけるいい材料になるかもしれない。そもそも、この男の判断は「正しい」。間違っていたことなど一度もないのだ。どんな犠牲を払おうとも、最終的には誰もが「正しかった」と納得せざるを得ない成果を残すのだから、この男は「正しい」。この男は「正しい」のだ。
「リヴァイと話したことはあるかい?まだ人間的には、かなり未熟に思えると思うんだが…。あの男の教育を、今後君に任せたいんだ。」
私はエルヴィンに向けて思い切り顔をしかめてみせた。また面倒事を押し付けやがって、この男。もしかしたらこの男は、私とリヴァイを癒着させたいとでも思っているのか。お前と私のように。
「そう嫌がられると頼むのも憚られるんだけどね。」
「頼んでくる時点で拒否権がないのがわかってるからこんな顔なんだよ。はあ…面倒な。」
「引き受けてくれる気満々でとても助かるよ。」
嫌味ったらしいこの言動にも、そろそろ慣れた。この男と関係を持って早6年にもなろうというのだが、相変わらずお互い、別に愛し合っているわけではない。6年もお互いが生き続けているという事実だけが、巨人に程近いこの団では当たり前を飛び越えている。相手が生きていることが、こんなにも当たり前になるとは思っていなかった。特にその存在が愛おしいわけでもなければ、もしその存在が消えたときにこれまでにない喪失感を抱かせるわけでもないと思う。ただ、そこにいるだけの存在なのだ。それが、当たり前で、ひどく普通なのだ。
「私がリヴァイと浮気でもしたらどうするの。」
私は嫌味っぽく笑って言ってみた。すると、エルヴィンは少し笑って言う。
「それでも君は私のものだろうし、リヴァイにレンタルしているとでも考えるかな。」
「凄い自信。」
「だってそうだろ。私は君のものなんだから。」
ベッドを軋ませて私を挑発する男は、やはり私に相当入れ込んでいるらしい。ギブアンドテイクの関係を当たり前に語るけれど、この関係はそんな均衡のとれたものではないと思う。どちらかの気まぐれですぐにでも崩れてしまいそうな、不安定な、死と隣り合わせのひどく弱い糸を掴んでいるだけの関係なんじゃないだろうか。
「こんな大きな鬱陶しい犬を飼った覚えはないよ。」
しっし、と手で払ってみせると、「私は君を飼っている自覚があるんだけどね」と笑われた。こうやって軽口を叩き合っても、別に距離がつまるわけではない。ただの戯れあい。無意味な行為。こうやって親しげに振舞って、周囲にも知られたこの純粋かつ澱んだ関係は、当人たちの知るところでのみ、こんなにも離れて、こんなにも孤独だ。エルヴィンは、私のベッドに横たわって眠るふりをする。先ほどから私が座っているこのソファーも、この部屋の空気も、窓から入る光も、もうきっと、ずっと変わっていない。いつまでもこの場で足踏みを続けて、正しさと普通に埋もれて身動き取れず、生きるに生きられず。是非を超えたところで、何故私はこんなにのうのうと生き存えているのだろう。たくさんの人の死を見送ってきたけれど、たくさんの人間が生きることに執着しているけれど、そうしてはじめて私たちが平等になるだなんて、ひどく皮肉だと思う。誰もが渇望した生が飽和するとき、不平等が生まれてしまう。私たちはいつでも生きることに飢えているべきなのだ。それが最初で最後の目的であるべきなのだ。余剰価値を求めてはならない。日々、必死に生きていなければいけない。それなのに、私は今、慣れてしまった。この生に、徐々に。今まで渇望してきた生が、こんなにも正しく、普通に、当たり前に。
「君が好きだ。」
エルヴィンの口は確かにそう言った。顔をあげてエルヴィンの顔を見たけれど、彼の目は腕に覆われて見えなかった。寝転がったままそういうものだから、寝言かと思った。私たちのあいだに、そんな言葉は今までに一度たりともなかった。私たちは、愛し合うような関係ではない。ただの、シンプルな、そういう、どういう、関係だったのだろう。
「流石に誤魔化しが効かないんだ、もう。」
生きることに余剰価値を求めてはならない。例えばこんな風に聞こえる声を、もっと聞きたいと思ってはならないし、微熱めいたこの鼓動を、これ以上欲してはいけない。こんなものは知らない。知ってはいけない。ベッドから立ち上がって、ソファーに近づいてくるエルヴィンの顔が見れなかった。これが本当の、距離が近づくということかもしれないと思った。当たり前が、当たり前でなくなっていくことが、こんなに怖いだなんて思わなかった。こんなにひどく鮮烈な一言、ただそれだけのタブー。今までどうして、それに気づかなかったのだろう。こんなに簡単なことで。私の目の前に跪いて、エルヴィンは私の顔を覗く。
「君のそんな困惑した表情、初めて見たよ。」
私の膝に置かれていた手に、そっと手を添えた。その手は、いつもみたいに熱くなくて、ただ、ゆるりと暖かく、すこし汗をかいていた。いつの間に、私はこんなに強欲になっていたのだろう。いや、もうずっと前からそうだったのかもしれない。死の上に立って見下ろす全てを、退屈に感じ始めた時から。この世の不条理さをひどく感じていながら、心のどこかでそれを許し始めた時から。生きることが、こんなにも幸せだと気づいてしまった時から。

マルクパージュ


251122