そのときの私は、たいそうみっともなかった。昼間から彼氏との喧嘩で家を追い出され、彼の家での家デートが、手荷物はなし、片足だけハイヒールを履いているという、酔狂な散歩になった。今の彼氏、顔はいいのに性格が最悪なんだよなあ。自分勝手で、俺様で、私の言うことなんて一つも聞いてくれない。金もせびられるし、彼の家に置いてきたバッグの財布からは、今頃お金が抜き取られているに違いない。
(でも、イケメン好きだしなァ〜。あたしって本当に趣味悪い…。)
太陽はカンカン照りで、焼いたアスファルトに裸足は火傷してしまいそうだったので、日陰を歩いて行くことにした。どこへ、ということはない。お金もないし、ここから私の家までは近場のバス停からバスで20分もかかる。要はアイツが機嫌を直すまでの暇つぶしだ。
冷えたアスファルトがつま先にじんじんと響いて、私の足は冬でもないのに凍えそうだった。ジーワジーワと、蝉が煩く鳴いている。今日はペディキュアもきれいにできたのに、こうして裸足で歩いていたら、すぐに爪に傷が入るだろう。足先を見ながら歩いてると、冷たいアスファルトがこっちを見て、随分とお堅い顔をしていた。哂った顔の車たちに追い越されてゆくのがうざったくて、顔なんか上げていられないというのに。
(あーあ、つまんないなァ。)
「なにがつまらないんだ?」
 ドッ、ドッ、ドッ、と、心臓の鼓動のような音を響かせて、同時にいけ好かない声が右耳を割いた。顔を上げると、バイクに乗った岸辺露伴が、こちらを見ているではないか。道路脇につけたカワサキのバイクが、太陽光線でビカビカ光ってる。岸辺露伴のヘンな髪型を邪魔しないよう額にあげたサングラスも、構造色で虹色に光っている。ぽかんとしながらその顔を見ていると、岸辺露伴は眉間に皺を寄せて、私の顔を指差した。
「いいか、僕は君に言っているんだぜ。聞こえてないならもう一度言うが、僕はなにがつまらないんだ、と聞いたんだ。答えたくないならその理由の一つでも言ってみろよ。」
フン、と鼻を鳴らして、いかにも不機嫌、といったふうだ。何がそんなに気に食わないのか知らないが、そもそも私がつまらない、などと口に出した覚えはないのに、なんであんたにそんなことがわかるんだ。私は私に差された指を、へし折ってやりたかった。
「あたしはつまんない、なんて言ってないんですけどォ。」
吐いて捨てるように答えると、岸辺露伴はさらにひどく顔をしかめる。
「君は馬鹿か?さも『あーあ、つまらないなァ。』みたいな表情を晒してトボトボヘンな格好で歩いている奴が、その口でつまらないなんて言ってないと口走るのかよ。君は馬鹿か。」
二度も馬鹿と言われたことは置いておいて、私の心でも読んだみたいな岸辺露伴の言い草に、私は多少驚いた。こいつ、他人の気持ちなんてお構いなしの、むしろ人より動物的な本能をもった、本当に偏屈だと思っていたのに。私が相当わかりやすいのかもしれないけど、岸辺露伴にも人の心があったということなんじゃあないか?なんて、一人で驚いている。
「どうなんだよ、さっきから黙って人の顔ばかり見ているが、口はきけるんだろ?」
いちいち言い方が癇に障るけど、まあ、いい。私は冷たいアスファルトにしゃがみこんだ。
「この近くの彼氏の家にいたんですけどォ、喧嘩しちゃって、追い出されてぇ。一文無しで、靴も忘れて、家は遠いから帰れないし、つまんなくないわけないでしょ、これが!」
 昨日見たアメリカの映画みたく、大袈裟に肩をすくめて笑った。格好悪いことはわかっているけど、そんなことはもうどうでもいいのだ。目の前にある大きなバイクに跨った岸辺露伴を見ていると、こんなに暑い中季節感のよくわからないヘンな格好をしているのに、カッコイイなぁと思った。めちゃくちゃ青い空に岸辺露伴が映えているのか、私がカッコ悪いから対比で彼がカッコよく見えているのかは知らないが、こうしていると彼は本当に、何か、一流みたいじゃないか。
 彼は、何か言いたげな目線だけ残して、一度バイクから降りた。そして、バイクのシートからこれまた黒光りして傷一つないメットを取り出し、私に投げた。慌ててキャッチして、彼の顔を見ると、バイクにもたれかかって私を見下ろした顔が、何か企んでいるような、ちょっと嘲笑じみたニヒルな笑みをたたえている。
「要は暇なんだろ?」
そう言うと彼はまたバイクに跨り、「余計な荷物を増やしたのかもな。」と小さな声でひとり言みたいに言った。でもその口元は、笑っている。
「どうした、その硬そうなアスファルトがお気に入りなら、いつまでも這いつくばっていればいいと思うが?」
サングラスをした露伴が、口元だけで表情を見せる。ああ、これ、そうだ。普通に取材してるときに、おもしろい人種に思いがけず出会って、そんな感じ。私はバイクの後ろに跨り、メットをかぶらず、手元に抱えて岸辺露伴に告げた。 「あたしが日焼けしたら、先生のせいですからね〜。」  唇を尖らせていると、彼はクスリと笑って、進行方向を向いてバイクのエンジンを鳴らした。「ああ」と思い出したように声をあげて、エンジン音に負けないくらいの声で、彼は私に告げる。
「その妙なスタイルの靴は捨てていけよ!どうせ片足だからいいだろ?」
私はその張り上げた声に、もう何もかもどうでもよくなって、ハイヒールを脱いで高く高く投げ捨てた。あーあ、高い靴なのに。いくらすると思ってんのよ!
「今の靴、片足で先生の原稿、3枚分ですから!」
弾けた言葉が、ギラギラの太陽の下で跳ね回る。メットを被らないままに、彼の腰に腕を回すと、彼は馬に鞭を打つように、そのバイクをもう一度わななかせた。
「そりゃァ災難だったな!詫びと言っちゃあ難だが、両足でボクの原稿1週分のヤツをやるよ、元編集!」
それ、どんだけ?私は彼の今の原稿料を知らないけど、わけもなくわくわくするのを、止められないのが少年心だ。走り出したバイクは、目の前の杜王海岸を目掛けてまっしぐらだ。服も化粧も見栄っぱりも、全部全部引っペがされそうなほどの夏の風に、全部丸裸でさらけ出したいくらい。私は思った以上に大きな背中の後ろで、ひどく熱に浮かされた頭を、彼の肩甲骨に押し当てて笑っていた。


ライダース・シンデレラ

140216