っち、冗談だべ?」
 冷や汗を額に浮かべている目の前の男に、嫌悪の表情を向けて私は呟くのだ。
「冗談でヤクザやれると思う?
 占めて405万2千400円。きっちり返してよ。」



 高校を卒業してすぐ、母子家庭で育ててくれた母親が過労による突発性の心筋梗塞で他界した。それからしばらくして親族として洗い出されたのがこの家系である。の苗字は母親のものだが、父方の佐伯家は代々高利貸しをやっている、所謂ヤクザの家柄であった。母親はそのことを私や周囲に隠しながら、私を佐伯家から隠して育てていたのであった。佐伯に跡取りはおらず、必然的に私が跡取りとなるのは自明であったが、妾の子として本妻に疎まれつつ単純に跡取りという名の穀潰しとして育てられるのも癪だったし、丁度アルバイトもチーフとのトラブルでやめたところだったので、私は回収の構成員として名乗りをあげた。父親は勿論反対をしたが、本妻は私が早急にいなくなることでも求めているのだろうから、予想通り賛成した。勿論多数決で結果は許可の方向に動く。私は名実ともに筋者、となったのだ。
 勉強は得意ではないし、そもそも好きでもないし、そんなわけで組の事務処理などにまわるのは御免だった。数字などを日中見ている柄ではない。構成員になったのは、特段頭を使う必要もないし、言われたままに動けば良いからだ。女で構成員というのは珍しいが、高利貸しに女社長や幹部というのは珍しくない。周囲の男衆は私のことを佐伯の娘とは認識していなかったが、いい距離間で接してきた。周囲の人間とは互いに上に上ってゆくために蹴落としあったりもしたが、そんな忙しい2年間も悪くなかった。



 だが、この状況はどうだろうか。あまり気分のいいものとは言えない。かつてからこいつは馬鹿だったけど、ここまでの馬鹿とは思わなかった。かつての友人と、「仕事」で対峙しているなんて。
 私も大層な馬鹿だったけれど、こいつは筋金入りの馬鹿だった。高校時代から。普段から授業はサボるか寝るかで、私もまあそんなことはしょっちゅうだったが、単位の計算ぐらいはできたが、こいつはできなかった。私はすんなり卒業できたが、こいつは私が卒業したときにもダブりが決定していた。そういう馬鹿さを、あの頃はよく連んで笑い合っていたものだが、今は違う。こいつの馬鹿さを嘲り笑うしかなくなっている。



「なんでっちが取立てなんてやってんだよ、俺聞いてねーべ!」
「言ってないからだよ。君とつまらない問答する気はないから、早く耳揃えて405万2千400円、返しな。」
こいつの家に私一人が押しかけた時点で、こいつは今私とは二人で対峙しているつもりでいるのだろうが、実は違う。外には男衆が4人待機している。いつでも駆け込める体勢でいるはずだ。
私は目の前の葉隠康比呂という人間に一瞥をくれて、汚い部屋の物色を始めた。散らかって邪魔なものは、全てルブダンの10cmヒールで蹴飛ばす。高い靴で汚いものを蹴飛ばすのは不快だが、まあどこに「仕事」に来てもいつものことだ。隣でかつての友人が喚いていようと、無関係だ。
「何すんだよ!あーあーそれ俺の大事な…」
「通帳と印鑑は?あとあるだけの現金ね。」
イマイチ噛み合ってない会話でも大した問題はない。私は悲痛な叫びを聞きながら、箪笥を物色し、机をひっくり返して「お目当て」を探している。
「やめてくれよっち…俺ら友達だろぉ…。」
私はその一言をきいて、尻餅をついている康比呂の横顔を足の甲で蹴飛ばした。バキ、康比呂の頬骨が軋む音がした。
「あんたみたいなクズ、誰が友達だって?」
地べたに這いつくばる男を見て、ああ、相変わらず情けないと思った。「あいも変わらず」、そんなことを思っているくらいには、私もこの男との過去を懐古しているらしい。が、仕事に私情を持ち込むほど馬鹿な話はない。個人的な感情は邪魔になる。ただ膨れ上がった借金に気付かないままの大馬鹿野郎にそれを気づかせ、金を徴収するのが私の仕事だ。暴力だって厭わないのは、そういう馬鹿がいるからであって、私が悪人だからではない。
 涙など流されたところで無関係だ。泣いて解決するのなら勝手に泣いて喚けばいい。仕事でどこにいってどんな奴に会ったって、いつもこんなものだ。泣いて喚いて、やめてくださいと叫ばれる。でも、最初に馬鹿な金貸しに手をつけたのは、君たち馬鹿だろう。
っち…。」
 私がタンスの奥から、残高数十円の通帳を見つけて溜息をつき、途方もない宝探しに草臥れて一度溜息を漏らしたときだ。康比呂は地べたに座り込んで項垂れながら名前を呼んだ。
「何、ちゃんと返済する気になったの。」
私がへたりこんだ康比呂を見下ろしていると、こちらを見上げてくる潤んだ双球。
「俺、バカだからよぉ。こんなこと、どうしようもなくて…。」
そんなこと知っている。馬鹿以外が闇金に手をつけることなどまずないだろう。君の馬鹿さが招いた悲劇だーーそう言おうとしたところで、彼のその瞳に射抜かれて、一瞬動けなくなった。涙混じりの眼が、泣いていない。怒っている様子はない、けれど、この男、何を考えているんだ。
「どんだけ殴っても、蹴っても構わねえから、お願いだから、見逃してくれよぉ。」
ムシのいい一言に、冷淡にまたその顔を蹴りつける。手を高いヒールで踏みつけてやると、鈍痛にただ喚く。涙を流しながら下手なことを宣ってばかりのくせに、その眼だけは敗北を認めていない。昔から嫌いだったんだ。その自信満々の眼が。いつもいつも、根拠のない自信ばかり抱えて、堂々としていたその眼に、どうしようもなく、
苛々するんだ。
っち、お願いだべ。」
 私は名前を呼ばれてまたその苛々のままに、彼の頬を殴ろうとした。
 しかし、それは叶わない。私は自分の腕を康比呂の手に捕らえられ、身動きがとれなくなった。咄嗟に手を引こうとしたが、ビクともしない。彼の握力に、私の手がジリジリと痛みだし、赤く鬱血してきている。
「離しなよ、康比呂。私一人だと思ったら大違いだからね。外にはーー」
「俺の占いは3割当たるって言ったろ。」
 康比呂は先ほどまでの軽い声とは裏腹に、重く響くような声で高校時代のふざけた口癖を宣う。巫山戯た冗談だと思って聞き流していたのに、なんで今更そんなに真面目ったらしい顔で、そんなことを。
「外の奴ら、隣の空き部屋に待機してるらしいな。部下みてーな男どもの配置が終わって約20分後にこの部屋にっちが現れるってのが、俺には見えてたんだべ。
っちに久しぶりに会えるってのに、邪魔されちゃあ敵わねえからよ。」

まさか

康比呂の言葉に嫌な汗が流れた。一瞬康比呂が手を緩めた瞬間に手を振り払い、部屋の壁をドンドンと叩いて、部下の巻田たちを呼ぶ。
「巻田!国枝!何してる!」
返事はない。やられた。どのような方法であるにせよ、部下を失うのは大きな痛手だ。腕っ節は女だてらに強いつもりだが、康比呂に勝てるかどうかは知らない。隣の部屋に全員ではなく、一人くらいは別の部屋に残しておかなかった私の計算ミスだったのだろうか。私は壁を叩き続けるが、耳を壁にあてても物音ひとつしない隣の部屋に、小さく絶望を覚える。
背後に気配を感じて、冷たい汗が首筋を伝う。振り返ると、さっきまでへたりこんでいた康比呂が、私の後ろに立っていた。私は咄嗟に逃げ出そうとするが、康比呂の手によってそれは阻まれる。掴まれた片腕を締め付ける手には、執念のようなものさえ垣間見えるほどの強さが込められていた。
「鬼ごっこはもう終わりだべ。」
冷たく見下ろすその表情には、さっきまで私が感じていた違和感は、感じられなかった。目は口ほどにモノを言うというその言葉のごとく、先程からも目だけは怯えた素振りでは誤魔化せていなかったのだ。私は草食動物を追い詰めて虐げているつもりでいたが、その実、狙われていたのはこっちだった。
「俺、いつっちが来てくれるのかって、楽しみで仕方なくってよぉ。」
ぞわりと背筋が泡立つ。今まで自分が獲物を追いかけることしかしてこなかったせいか、値踏みをするようなその視線に根源的な気持ち悪さを感じる。
「おめー売って、キッチリ借金返させてもらうから、安心しろよな。」
ニカッと無邪気に笑うその表情に、私の膝は恐怖に折れた。生理的に溢れ出す涙を止められないまま、一言力なく呟いて、目を閉じるしかなかった。
「下種野郎。」


虎視眈々

こし-たんたん
強い者が機会をねらって形勢をうかがっているさま。
虎が獲物をねらって、鋭い目でじっと見下ろす意から。

140315 塩昆布へ